議員日誌708  下館の歴史と羽黒神社   H30. 5.30

 水谷(みずのや)氏を中心とした下館の歴史を少しお話しします。実は同友クラブの例会で「七羽黒めぐり」が催され参加してまいりました。会の主旨は七つの羽黒神社の由来を水谷氏の台頭・盛衰を中心に解説するものです。水谷氏と羽黒神社となれば、中世期・下館の15、16世紀の歴史そのものとなります。

 15世紀、結城の地は結城氏が納めており、その家臣であった水谷勝氏(かつうじ)が1478年、下館の地に築城したことから下館城の歴史が始まります。勝氏は城、領民の安寧を願い、羽黒神社を創設します。つまり羽黒神社と下館城の歴史は一つになります。最も有名な城主は6代目の水谷正村(まさむら)後の幡龍斎(ばんりゅうさい)であり、「不敗の猛将」とよばれ16世紀中ごろには領有は5万石(継いだ時の4倍)まで拡大しました。正村はその後樋口にも城を建て(樋口城)、北方からの侵入に備えました。

 繁栄は続きまして、7代勝俊は関ケ原の戦いで東軍となり、下館藩4万7千石の大名となりました。8代勝隆は、神社・寺院、市街地、軍施設の配置転換と整備を行い、現在の市街地の原型となりました。勝隆は後に幕府の命により備中松山に転封となり、水谷氏は下館の地から消えます。この後徳川家康の11男徳川頼房の長男松平頼重男(つまり家康の孫)が城主となりそれ以後下館藩は近世に移ります。

筑西市の歴史は古代、中世、近世となかなか面白いものがありますが別稿に譲ります。

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